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盲目の三つ子

Posted by さおる。 on 12.2010 絵画と詩 6 comments 0 trackback
スルタンのつぼ
「スルタンの壺」8号。トルコのトプカプ宮殿で見た、王様の壺に、変わり咲きのチューリップをいけました。(推定)

   盲目の三つ子


空から舞い降りし、盲目の三つ子よ。

小さな手を六つ、星のようにきらめかせて

小さな足を六つ、あちらこちらにばたつかせて

見えない瞳を六つ持ち、

見えない翼を六枚持って、

天の国からやってきた。

地上に降りた三人は、小さな小さな円陣を組む。

誰からも邪魔をされないように。

誰からも傷つけられぬように。

地球の重力は、三つ子の闇を深くする。

小さな手を六つ、決して離れぬように握りしめ

小さな足を六つ、決して迷わぬように寄せ合わせ、

お互いの命だけが見えるよう、唯一光る三つの魂を見失わないように。

見えない翼は折りたたまれて、小さな背中に張り付いた。

盲目の三つ子はかたくなだ。

その手を伸ばして、五本の指を広げてごらん。

その足を伸ばして、何処までが世界なのか確かめてごらん。

三つ子は手を離さぬように、輪を崩さぬように立ち上がる。

六つの足は迷いなく、足跡を踏む、足跡を踏む。

知らぬ間に、足は高く、宙を蹴るように。

足は足の意思を持つ。

六つの手は迷いなく、闇を探る、闇を探る。

知らぬ間に、ひらめいて、世界をつかむかのように。

手は手の意思を持つ。

盲目の三つ子は踊りだす。軽やかに空を舞うように。

見えない翼を忘れたまま・・・。





スーパーで3人の盲目のお子さんを連れた、女性とすれ違いました。
どの子も母親にしがみつくように一丸となっていました。
初めてあった人たちなのに、子供たちがうまれてからの日々が
垣間見れたような強い衝撃を受けました。
これは、自分の気持ちの持っていくところがなくて書いた詩です。

いつか、彼らのために、マチスのダンスのような、軽快な絵が描いてみたいです。







3号
レモン3号は、おさかなにしぼりました。

この詩を読んだ時、娘が師事しているモダンダンスの先生の舞踊を思い浮かべました。飛んだり跳ねたりはほとんどなく、地を這う四肢の動きがまるで大地と大気とに会話しているかのようです。目を閉じてなお感じる感情の波が毛穴にまで入り込み呼吸を止めます。

私がもしもその三つ子に会っていたならば、子を持つ母として多分さおるさんと同じ感情を抱いていたのではないでしょうか。

私にはそれを表現する手段はありませんが、さおるさんが描くソウルをいつか見てみたいです。
2010.11.13 05:13 | URL | spoon ride #JyN/eAqk [edit]
生きること 今この時を 大切に
輝く魂 恐れを知らず(心海)

人生の因・・・「自らの経験」によって「自らを知ろう」とする欲求
本当の自分を知って、体験し、感じる瞬間・・・ひとつの生涯がひとつの
段階で気づきを得ること 人は何回でも生まれ変わり魂が絶対的な気づきを知るための環境に生まれかわる。何事も無駄な生はないものだと・・・。
2010.11.13 06:33 | URL | 心海 #JyN/eAqk [edit]
こんにちはです。

『欲望』って、何なんでしょう・・。
自分がこうして『普通』と呼ばれる生活をさせてもらっている事に、心に、身体に『感謝の意』が、あまりにも無さ過ぎるのか・・。
『感謝の意』に満たされているのなら『欲望』などは無用なはず。

いま同居している義母・・
目が不自由になり、思うように身体の動かない義母は、手を貸してもらえない事に愚痴を発します。
手を貸すことは『衰弱を促す手助けをする』こと。
そんな事を娘である嫁が喜んでするはずもないのですが・・。

ただ・・そんな義母のおかげで僕らは大きく大きく、成長させてもらっています。
義母が育ててくれています。
『この経験がきっと僕らの糧になる』
そういう思いもまた・・『欲望』の一種なのか・・。

やるせない想いを、絵に、言葉に乗せられるさおる。さん。
見ないふりをせず、受け止めているさおる。さん。
やっぱり素敵です。
2010.11.13 12:24 | URL | kaminomoribito #JyN/eAqk [edit]
ありがとうございます。v-10
ダンスって、生命をよろこばせてくれますよね。
私のやってるのは、エクササイズのようなものですが、
音楽に合わせて自然にリズムを刻むことは、ヒーリングでもあり
命の根源を知ることにも通じることのように思います。
原始の人々が、火の回りに輪になって、踊ったような。。。

そんな、原始的な、直接的な感覚。
失いたくないですね。

お嬢さん、どんな女性に成長されるかたのしみですね。
育つ過程で、ダンスは、彼女の大きな支えになってくれる物だと
思います。v-22
2010.11.14 11:21 | URL | さおる。 #JyN/eAqk [edit]
ありがとうございますv-22
人は何度でもうまれかわる。
いつか、子供に言って聞かせた言葉でした。

輪廻転生があるかどうかは、私にはわかりませんが
いつか、のたれ死ぬのが人生であったとしても
この体が、何年かで、全く新しい細胞にとってかわるように
生きようとするとき、人はなんどでも生まれ変わることは
出来ると思います。
わたしたちは、昨日も明日も生きられない。
今日という、新しい一日を生きているだけなのだから。。。v-22
2010.11.14 11:31 | URL | さおる。 #JyN/eAqk [edit]
ありがとうございますv-22
いつも、私の記事をまっすぐ受け止めていただいて、うれしいです。
私の父も、そうですが、
目が見えにくくなるということは
どんなに、不自由で、心細く、寂しいことでしょう。
見えているものが、世界の全てではないけれど、
実際に視界がさえぎられるということは、
見えていた人にとっては、耐え難い悲しみだと思います。

見えなくなった人には、身近な人が、自分の目のような存在なんでしょうね。
目となる人は、またどんなにか大変な役割かと思います。

そんな義母のおかげで僕らは大きく大きく、成長させてもらっています。
義母が育ててくれています。
『この経験がきっと僕らの糧になる』
そういう思いもまた・・『欲望』の一種なのか・・。


奥様にとって、こんな風に受け止めてもらうことが出来たら、
とても幸せだと思います。
なかなか、多忙な日常のなかにいて、そんな考え方に到達しないものだとおもいます。
息をつぐのも忘れるように泳ぎきったとき
するべきことをしてきた人は、豊かな、愛すべき人に
成長するのだと思います。
2010.11.14 11:52 | URL | さおる。 #JyN/eAqk [edit]


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はじめまして。さおるです。絵を描き、詩を詠い、さまよい生きるものです。  
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