今日は、最初に一言ご挨拶。
私のぶろぐをたくさんのみなさんに見ていただいて、とってもうれしいです。ありがとうございます。
さおるは暑さ、寒さに強いおんなである。
全校集会のとき、貧血で倒れたりなんか、したくても、とっても真似できない奴である。
待ち合わせのとき、仁王立ちで、しっかり地面に足をつけて腰に手をあてて牛乳をのんでいて、語り草にされたような奴である。
今も、ダンスで体を鍛えているのは、もしも東山動物園からトラかライオンが逃げ出したとき、走って逃げるためである。
たぶん、食われるであろう。しかし逃げるというスタンスは、人として崩したくない。
ということで、暑い中、クーラーも付けず、扇風機の風に吹かれていて、思い出してしまった。
私の大切な人、久子のことを・・・・、。
久子は、生まれたときから家族の一員で、さおるのおばあちゃんだった。
久子は明治生まれで、嫁ぐ前は女学校の先生をしていたらしい。
さおるは物心ついた頃から、久子が家事をするのをみたことがない。
久子はよく旅行をしたりで家を空け、お参りに熱心で、どこかで得度したりしていた。
幼かったさおるもお参りに連れて行かれたり、家にたくさんの人が集まってお参りをしたりしていた。
そんな久子は、夏になると、晩酌の後、一風呂浴びると、扇風機の風を浴びながら、シーブリーズを、体中にぬって涼んでいた。彼女は、どこまでもマイペースで、自己流を貫いた。
80を過ぎ、着物で、お茶の教室に通ったり、着物を仕立てもしたりで、顔を見るといつも針山を差し出し、糸を通しておいてくれと頼まれ、たくさんのはりに糸を通した。
さおるが中学生だったころか、こんな一場面に感動をしたことを覚えている。
私が、台所で、手を滑らして、お皿を割ってしまったときのこと。
それをみていたわが姉、淑子が、間髪いれず、
(形あるもの、すべて壊れる)
と言うと、久子がその言葉に続き、
(それが宇宙の、さだめです。)と発した。
あまり普通の家庭では、会話としてでてこないこのフレーズ、ふたりの連携プレーにしびれる思いがした。
久子は、(私の行く場所は、もう決まっているから、いつお迎えに来てくれてもいい)といいと常に言っていた通り
6年前の冬、93歳の時、母の料理に舌鼓を打ち、(妙ちゃんの料理はおいしいな~。)といいつつ、日本酒を飲んだ夜、すっと逝ってしまった。
私が、(家につれて帰る!)と久子を抱いてくるくると回って、久子が(こわい!こわい!)と歓声を上げた次の日だった。
久子がくれた物のひとつに、青竹ふみがある。
今も、我が家の台所にあって、それを踏みながらお料理をしたりしている。
このあいだ、ふとその半分に割った竹を手にとって見たら、
裏に 55年、名鉄百貨店、河合久子 と書いてあるのに気付き、ああ~~~と久子だ!と実感した。
あの田舎に生まれ育ち、裏山にいくらでも 竹が生えている場所に居て、この青竹を、わざわざデパートで
購入した久子。
あなたの血はしっかり私が受け継いでいます、同じAB型だし。
今夜も、あなたとともに、扇風機の前で、シーブリーズを塗る私。
死んでしまっても、生きていても関係ない。
あなたはいつもわたしとともに。
久子マイラブ

かけがえのない人。
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